バランスという英語があるが、日本語で言えば「つりあい」「平衡」「均衡」と言った意味になろうか、調和がとれていることの意味などにも使われている。いずれにしても、すでに日本語よりも英語のほうがニュアンスがわかりやすい言葉の一つである。
自然界においての動物は生命を維持し種族を保存、繁栄させるのに必要最小限の食料を手に入れるために活動をする。おそらくそこには、楽しみや生き甲斐といった感覚は存在しないだろうし、本能の赴くままに行動しているだけかもしれない。しかし、進化の過程で身につけた運動能力や、本能的な知恵、学習能力を使い、自然界の食物連鎖のなかで、それぞれの位置を獲得し、おそらく健康的な生活を送り、生態系のバランスを守っている。そんな動物達に比べ、人間はどうだろうか。
人間は、「生活をいかにして安定させて食料を確保していくか」という点で、他の動物達を圧倒する力を持った。食料となる動物を飼育したり、植物を栽培することをおぼえ、人間同士が互いに協力することで大きな成果を得られること学んだ。コミュニケーションの発達から得た知恵を活かし、物を交換したり、お金を発明することで自分の能力では得られない物を手に入れることができるシステムも構築した。仕事は分業、多用化し、食物に関わらなくても食料を手にすることができるようになった。
その仕事のシステムは、人間社会全体のパワーを劇的に向上させ、文明が発展するための原動力になってきたと考えるのだが、人間が地球上に現れる前の地球の自然には存在しなかったパワーが生態系のバランスを崩し環境の破壊を続けていることは周知の事実だ。地球環境にとっては不健康極まりない状況を作っている。
そのシステムの末端を担う、個人個人の仕事の内容も極端な分業、多様化、効率化が進んだ結果、本来、健康を維持するために必要な運動や発想、社会活動をバランスよく行うことができる仕事が減ってきているのではないだろうか。バランスの悪さは人間一人一人の活力の低下を招き、どんなに効率の良いシステムが働いていたとしても、社会全体の活力の低下は免れない。未曾有の不景気といわれる現在、その原因の最たるものの一つにそれが考えられるような気がするのだ。
自然の力というのはおそらく果てしなく強大なもので、どんなにバランスが崩れたとしても修復し、均衡を保とうと働くだろう。そしておそらく、仕事の、社会の、経済のバランスの悪さに対しても同じ作用をする筈だ。自然の力に修復される前に、人間は崩れたバランスを自ら修復しなければならないのではないか、と強く感じている。
まみうだ工芸 大豆生田 洋
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