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全国の看板屋さんに毎週交代でコラムを書いてもらいます。

第24回 〜少 年
秋田県 有限会社 和田かんばん 和田陽一さん


もう30年以上も昔の話です。

 不思議な形だなと思いながらも明朝体の持つ美しいディティールに
「描いてみたい」という、強い憧れにも似た真似心が生まれました。
中学校の3年生の時にはじめた「レタリング」の通信教育で、それが
明朝体と呼ばれる書体であることもその時初めて知ったことです。

 苦労して真似ながらデッサン、自作の溝引きやガラス棒を駆使し色入れ。
にわか”レタリングデザイナー”を気取っていた少年がその後間も無くある所で
その明朝体をフリーハンドでしかも驚くべきスピードで書いている光景に
大きな衝撃を受けるのでした。

 文字が書きたくて書きたくて弟子入りした看板屋さんの親方は根っからの
映画好きでこの道に入った映画看板描きの職人。
 自分には到底出来そうにもない親方の魔法のような「顔描き」は呆然と眺めて
いるのでしたが、多少なりとも”明朝体の出来るまで・・”に興味を抱いていた
少年の目に、大小の明朝体が鉛筆の水平線一本を目安に筆一本で書き並べ
られていく様はあたかも人間写植機がそこに居るかの様に映りました。今風に
言うなら人間インクジェットでしょうか?
 スレンダーでシャープな親方自慢の明朝体は業者の誰が見ても作者が分かる程
特徴的で美しい文字。中学生の頃、初めて見たあの明朝体とは違うが表情の有る
形、ディティールの美しさには全く同じ感動を覚えました。いつか自分もこんな職人
になるのだとそっと思い続けていた頃です。

 曲りなりにも看板屋を名乗り「商売」をさせてもらっている今、人間インクジェットを
夢見た当時の少年はインクジェットプリンタを使い、カッティングマシンを使い溝引きも
ガラス棒も持たず、ましてや筆でフリーハンド写植機を演じることもない始末。

 何がしたくて看板屋になったのだろう、何になりたかったのだろうか?でも、私は
嘆いてもいないし悲しくもない。モノを創りたいという欲求はその方法が変わっても
その本質に変わらないと思うから。・・・心はいつでも一緒です。
 文字や形でお客様の思いを自分の方法で形にしたい、よろこんで頂きたい。

 今少年は、”みんながうれしくなる看板づくり”を一生の仕事にしようと思っているのでした。