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全国の看板屋さんに毎週交代でコラムを書いてもらいます。

第3回 〜後継者
長崎県 有限会社町田美装工芸社 町田雅之さん

かなり前のことになるが、私よりは少し若い大工の棟梁と話す機会があった。今風にいえば工務店の社長である。彼は大工のなり手がいない、とこぼした(その時代の話である)。

彼には小さい男の子がいたから、
「あなたの息子に大工を継がせるつもりは?」とたずねると
「とてもそんなことはさせたくない。」という。
もちろん職業選択は自由だから、親が大工だからといってその子供が大工をしなければいけないきまりはなにもない。ただ、自分の子供にもさせたくないと思っていることを他人がやりたがるのかな、っていう私の素朴な疑問を、彼は素直に理解してくれた。もちろん、それほどに仕事に愛着を持っていることは普段の仕事ぶりから十分に承知していたから、私も誤解を恐れず指摘できた。そして今や「大工さん」は子供のなりたい職業の上位になったそうである。  

長崎県屋外広告美術協同組合では数年前から労働省の補助を受けて、労働環境改善のための調査事業を行った。そして昨年度からそれを更に踏み込んで「人材確保推進事業」というものに取り組んでいる。今年度はイメージ調査なるものを行った。ひとつは建設業界に向けてのもの。もうひとつは職業訓練校で学ぶ、かなり幅広い年齢層のひとたちである。  

建設業界に向けたものは、調査の内容以前にその回答数が配布数の1割にも満たなかっ た。これはなにより私たちの業界、あるいは業界団体がビジネスパートナーとしての存在感に欠けていることの証しだろうか。もちろん通常の建設業者は、なんらかの形で看板屋との取引はあっているはずだから、ただそれ以上でも以下でもないということだろう。わずかな 回答の中にも営業の隙間が見え隠れはしたが、今回は別の話題だ。  

職業訓練生を対象とした調査では、なんらかの形でサイン業界への就職を望む、あるいは可とする人が5割程度だった。その分析はまた別の機会があれば、ということにしたい。  ひるがえって実際、この業界には後継者がいないために廃業せざるを得ないケースを見つけるのがむしろ難しい。組合というチャンネルを通してしか事業所の数を俯瞰できないが、 少なくとも看板事業所が減っているという実感はない。弟子が独り立ちして新しく親方にな るという、徒弟制度の名残りもまだ根強い。  

私自身も後継者であるといえる。合成樹脂塗料が出る以前の調合ペイントを、ボイル油で 練って亜鉛引鉄板に塗ったものを数週間かけて乾燥させ、アオタケと呼ばれる粒を水に溶か したものを小筆につけて尺竹に沿わせて割り付けし、息を殺すようにして文字を描いてい た、創業者である父の仕事ぶりを見ながら育った。  
その父も42歳という、今思えばとんでもなく若くして病気でこの世を去ったために、私 は後継者でありながら、先代と一緒に仕事をした経験をほとんど持たない。私はとうにその父の歳を越えたし、私の息子がまもなく父が死んだときの私の年齢になろうかとしている。 振り返れば、後継者と言われながら創業者の倍近くの時間をこの仕事に携わっていることになる。  

この業界にも青年部があるおかげで、彼等のネットワークに首を突っ込むチャンスも少なくない。あるときその場にいあわせた数人にこうたずねたことがある。 「あなたちのこどもが、あなたたちの年齢になったころ、看板屋という業態が存続している と思うか?」  
もちろん誰も確信を持って答えられるはずもないが、若い彼等は、わたしたちの業界が今直面している変化が、もっと大きな変化に結びつくであろうことをかなり身近に感じてくれたと思っている。少なくとも、大きな文字が描ければ看板屋でいられた時代は終わった。

看板屋でなければできない仕事とは何なのだろう。  ある経営セミナーで講師が問うた。経営に於いて、変化してはならないものと、変化しな ければいけないものは何か?  
変化しなければいけないもの、それは「経営戦略」とでも称されるだろうか、時々刻々の環境変化への対応であることはいうまでもない。
一方、変化してはならないものとは「創業 の精神」だという。  

我が社において、少なくとも創業者は直接その言葉を残してはいない。終戦後のどさくさで、満州から引き上げてまもなくの父が、何を思いこの地でこの仕事を始めたかなど知る由もない。強いて言うなら、舞鶴港へ引き上げてきた直後、その近くで義理の兄を手伝ったこ とがこの仕事との接点であったとはいえる。そして父にとってすでに年老いた母が、このふるさとで一緒に暮らすことを望んだからであろうか。そのときの父の思いが「創業の精神」 であるとすれば、自らが育ち、また大切な人の住む土地への愛着という言葉で表せるのかも しれない。  

景色が財産である、という考え方がいまどれほど理解されているであろうか。自らの家や店がまわりからどう見られているかということが気にならないはずはないが、それが集合と なったとき、そこに価値を見出すという考え方はまだ総論レベルにすぎないのではないか。  
少々横道にそれるが、日広連という業界団体が屋外広告士という資格を設定している。一方では屋外広告業を建設業の許可業種のひとつとして指定すべきではないかという声もある。個人的には、この業態の固有の部分を建設業のカテゴリーに組み入れることには抵抗がある。もちろん流れは規制緩和の方向にあり、あらたな許認可の項目が増えるとは思えないし、そういった許認可に保護されてきた業界の現状についてはあらためて述べる必要もないだろう。  

看板ひとつがその事業を繁栄させる可能性と、その地域の繁栄にまで貢献する可能性を持っている。
もちろん逆の場合もある。
看板屋としては、看板が悪者になるような仕事はしたくない、という思いがある。  

突飛だが、中国、韓国の同業界からの営業活動を目にされた方もいらっしゃるだろう。私の住んでいる所は大阪よりソウルが近い。今は文化の違いなどもあるので下請けどまりのよ うだが、やがては私達のクライアントとの直接取引だってないとはいえない。屋外広告業界 は一般に良くも悪くも「地場企業」と位置づけられていた。モノは外国でもできるが、その 土地を愛していないとできないことがある。看板屋がいたから良い街ができた、と言われる ことを目指すのは間違いではないと思う。  

父がその愛着ゆえに創業したこの地だが、仕事の上で父の話題がでることはまれになっ た。私自身もいつのまにか後継を考えるべき世代に近づき、同業他社の世代交代にも無関心ではいられない。  

「守る」と考えれば後継は辛いものが少なくない。「攻める」と考えればすでにある足場 はなににせよありがたい。足場は「後継」かもしれないが、攻める戦略をたてるには「創業」に等しい能力が必要だ。後継者といわれながらも、どこかで先代とは違う自分の能力を発揮する可能性がある。それがこの業界に多くの後継者がいる理由になっているのではない だろうか。  

次の世代の可能性のためにも今、足場の基礎の置き所をよく見極めておきたい。その土地を愛し、よく知っていればこそわかる確かな地盤がきっとあるはずだから。